SCEの憂鬱

 かつてゲーム業界は任天堂支配下にあった。スーパーファミコン用ソフトは1万円を超え、我々ゲームプレイヤーはほかに選択肢のない中、それに従うしかなかった。
 そこに現れたのがソニー・コンピュータエンタテインメントSCE)だ。SCE任天堂の商売とゲーム業界を徹底的に研究し、ゲームプレイヤーとゲームメーカーの不満を見事についた高性能ゲーム機「プレイステーション(PS)」を投入した。
 PSの特筆すべきポイントはその性能と衝撃的な本体価格ではない。安価なライセンス料で標準価格5800円という従来の半額というインパクトをもってソフトをリリースした。使いやすいライブラリを標準搭載しデベロッパーの新規参入を促したことにより開発費は抑えられ、大手メーカーのみがソフトをリリースできる状況を打破した。流通を改革し、ソフト発売日の行列は姿を消した。やがてドラゴンクエストファイナルファンタジーといった任天堂ハードを象徴するタイトルが次々にPS対応として発表され、SCEはゲーム業界で天下を取った。ゲーム業界を任天堂の支配から脱却させたという点においてSCEの功績は果てしなく大きい。
 それから5年。SCEの様子がおかしくなったのはプレイステーションの後継機、「プレイステーション2PS2)」のリリースの頃だ。PSの頃に評価されたライブラリは姿を消し、PS2の開発は困難を極めるという話が良く聞かれるようになった。それでもあるメーカーは自社でライブラリを開発し、別のメーカーはCodeWarriorに代表とされる開発環境を購入することでPS2の天下を支えた。ゲーム業界は依然としてSCEに追い風に向いていた。しかし開発費の高騰はゲームソフトの高騰という形でしわ寄せが行き、ソフト1本の価格は6800円から7800円が当たり前になっていた。
 そして2006年。E3での「プレイステーション3PS3)」発表によりゲームプレイヤーとゲームメーカーは一瞬で夢から覚めた。「標準小売価格5万9800円(税別)」の一言によって。
 「ITPro」でのインタビュー(http://itpro.nikkeibp.co.jp/article/NEWS/20060510/237221/?ST=newtech&P=2)でSCE久多良木氏はこう言っている。

久多良木氏:僕は,PS3はコンピュータそのものだと思っている。コンピュータでは,CD-ROMからプログラムを直接実行するのではなく,ハードディスク装置に一度ダウンロードする。PS3でも,HDDはそういう利用方法になるだろう。つまりキャッシュ的な役割を果たす。使い方によってはHDDの容量が足りなくなるのは確かだ。そういう人は,大容量HDDを買い足せばいい。

 たしかに、あのスペックであの価格は驚愕すべきものだろう。しかし、実際に購入する我々はPS3を「ゲーム機」としてしか見ていないわけであり、ゲーム機に最安モデルで6万円は常軌を逸した価格としか思えない。20年以上ゲームをプレイし続けている私がそう思うのだから、もっとライトな層は尚更だ。高性能なコンピュータシステムが欲しければPCを買えばいいだけの話なのだ。かつて「ライトユーザー」という言葉を生み出したSCEと同じ企業だとはとても思えない。
 さらに久多良木氏は、

 来年か再来年には120Gバイト品が出るかもしれない。仕様の違いは,別バージョンではなく,別コンフィギュレーションPS3と考えてほしい。だって PS3はコンピュータなんだから。顧客ごとに仕様が異なるBTO(built to order)で売ってもいいくらい。それを前提に,内部はモジュール化して設計してある。家電や従来のゲーム機とはまったく違う発想で内部を設計した。コンピュータを設計する発想で,拡張性を考え,標準インタフェースを採用し,各種の部品を選択した。

 余暇を過ごすための機械を購入するために何故構成を自分で考えなければならない? 消費者はゲームがしたい(あるいはビデオが見たい)のであって、PS3を買いたいのではないのだ。そこには技術者のエゴしか見て取れない。しかも旧来のソニーの良さであった技術的なチャレンジ精神を見て取ることはできず、そこにあるのは王者SCEの驕りだけだ。ゲーム業界では新参者のSCEが王者の座に上り詰めることができたのはひとえにそのチャレンジ精神の賜物であったことを既に忘れてしまったのだろうか。
 ゲームプレイヤーとSCEの齟齬は、思えばPSPの頃から現れていた。デカイ、重い、熱い、バッテリー持たないのPSPは従来のヘビーなゲームプレイヤーにはある程度受け入れられたが、それ以外の層を開拓するには全く至っていない。逆にPSで生まれた新たなユーザーを獲得できず敗者となった任天堂のほうが今新しい層の開拓を真剣になって進めているところは、かつてβで敗れたソニーがその教訓を生かして成長していったことを思い出させる。実に皮肉なことだ。
 SCEにはソニーグループの筆頭としてブルーレイを牽引しなければならないという命題が課せられているという事情を差し引いたとしてもSCEは完全にゲームプレイヤーに背を向けてしまったとしか思えない。むしろ決別したとすべきかもしれない。
 私の周りにいる人の一人はPS3を見て「ファイナルファンタジーのようだ」と言った。徹底的に写実主義を突き進み、プレイヤーを置き去りにしたかつての巨人。なるほど、言いえて妙だ。ファイナルファンタジーを生んだスクウェアはその大作主義が災いして経営が逼迫してエニックスに事実上の吸収合併されてしまったことは記憶に新しい。
 PS3のスペックと価格から読み取れるメッセージは「ファイナルファンタジーグランツーリスモだけやっていろ」だ。SCEの進む先に見えるのはスクウェアのように会社がなくなるどころの騒ぎではない。ゲーム業界の終焉だ。
 SCEの憂鬱、それは皮肉にもPS2が1億台を売り、DVDの普及を牽引したという、当のSCEの想像以上にヒットしてしまったことに他ならないのではないだろうか。