PS3というハードウェア

PS2PS3という進化はファミコンスーパーファミコンの進化と同じだ。PS⇒PS2の進化といってもいい、これまで家庭用ゲームとしてのごく当たり前の進化で、言い換えればPS2が発売されたときに「次の世代のゲーム機を想像してください」と言われて10人中9人のゲームマニアが想像しうる方向性だ。
今まではそれでよかったのかもしれない。まだ稚拙な3Dグラフィックスしか描画できなかったPSがPS2に取って代わる必然性は確かにあった。だからといって今回もまた何も考えず同じ方向で進化するのはあまりにも考えなしではないか。本来、クリエイティブな仕事をしているはずの「ゲーム機を作る」という仕事がグループ会社の圧力やライバル会社の動向などに左右され、何も考えずにただ言われた仕様を入れるのに精一杯だったように感じる。それは、エンタテインメントの死だ。
http://review.japan.zdnet.com/news/c20311967.html

PSおよびPS2のソフトは8000〜9000ある。問題があるのはその一部のソフト。音が聞こえない程度であれば、我慢すれば遊べるので問題ないと思う人もいるだろう。ハードの進化による非互換の問題は他社(のゲーム機メーカー)を含めて業界として知られていること。当初から互換率は100%ではないと考えていた。

この姿勢こそ今のソニーPS3の姿なんだろう。PS3は大鑑巨砲主義とともに沈んでいった戦艦大和のように見える。
かつてSACDという規格があった。CD以上の音質を売りとしたこの新しいCDの規格は全く普及することなく消え、逆に普及したのはより音質の悪いMP3規格だというのはご存知の通り。これが何を示しているかというと、人はある一定以上の品質を手に入れるとそれ以上の品質の向上を望まず、別方向のアプローチを望むようになるということだ。